歴史– category –
-
歴史
新井白石
新井白石(1657~1725年)は、朱子学を学んだ儒学者です。側用人の間部詮房とともに、6代将軍徳川家宣と7代将軍徳川家継を補佐し、正徳の治を進めました。白石は貨幣改鋳で品位の高い正徳金銀を発行し、貨幣の信用回復を図りました。また、金銀流出を抑えるため、1715年に海舶互市新例を出し、長崎貿易の来航船数と取引額を制限しました。一方で貨幣量が減り、物価下落や不景気を招く面もありました。 -
歴史
石田三成
石田三成(1560~1600年)は近江国出身で、豊臣秀吉に仕え、兵站や行政を担って豊臣政権の五奉行となり、佐和山城を居城としました。秀吉の死後、徳川家康が勢力を強めると、三成は毛利輝元を総大将とする西軍の中心となり、1600年の関ヶ原の戦いで東軍と激突します。小早川秀秋らの離反で敗れ、のちに京都で処刑されました。対立の背景には、忠義だけでなく諸大名の利害や政権内部の権力争いもありました。 -
歴史
日野富子
日野富子(1440~1496年)は、室町時代の公家・日野家に生まれ、8代将軍・足利義政の正室である御台所となった人物です。義政は弟の足利義視を後継者に定めましたが、1465年に富子が足利義尚を産むと、将軍継嗣問題はいっそう複雑になりました。細川勝元と山名宗全の対立、畠山氏と斯波氏の家督争い、各地の守護大名の利害も重なり、1467年に京都で応仁の乱が始まり、1477年まで続きました。富子一人が乱を起 -
歴史
平清盛
平清盛(1118~1181年)は、保元の乱と平治の乱で力をのばした武士です。1167年には武士として初めて太政大臣になり、平氏の一族や親族を朝廷の重要な役につけて、平氏政権を築きました。海外との結びつきを重視し、宋銭などを日本にもたらす日宋貿易を進めるため、今の神戸港の一部にあたる大輪田泊を整備しました。また、今の広島県にある厳島神社を厚く信仰し、海に浮かぶように見える社殿を整えました。娘の平徳子 -
歴史
平将門
平将門は、平安時代中期に関東で勢力を伸ばした、桓武天皇の子孫にあたる豪族です。親族間の領地争いなどから戦いを広げ、935年に始まった平将門の乱では、常陸国府を攻めた後、下野と上野の国府も押さえ、関東の広い範囲を支配しようとしました。939年には新皇と名乗って独自に役人を置きましたが、940年に藤原秀郷と平貞盛らに敗れて戦死しました。同じ頃に瀬戸内海で起こった藤原純友の乱と合わせて承平天慶の乱と呼ば -
歴史
清少納言
清少納言は、平安時代の966年ごろに生まれたと考えられる女性の作家で、993年ごろから一条天皇の后である中宮定子に女房として仕え、宮中での暮らしや人々の様子をよく観察しました。代表作の枕草子は、感じたことや見聞きしたことを自由に書く随筆で、「春はあけぼの」から始まる章では四季の美しい時間や景色を描いています。清少納言は、明るく心ひかれるものを「をかし」という感覚でとらえ、楽しいことだけでなく、気ま -
歴史
藤原道長
藤原道長(966~1028年)は、平安時代中期の貴族で、藤原氏の勢力を最も強めた人物です。藤原氏は、娘を天皇のきさきにし、その子が天皇になると母方の祖父として支える外戚の立場を利用しました。道長は娘の彰子を一条天皇のきさきである中宮にし、孫の後一条天皇が即位すると、1016年に摂政となりました。摂政は幼い天皇に代わって政治を行う役職で、関白は成人した天皇を助ける役職です。こうした役職を藤原氏が握る -
歴史
北条政子
北条政子(1157~1225年)は、伊豆の豪族である北条氏に生まれ、流人だった源頼朝と結婚しました。頼朝が武士の政権を築き、1192年に征夷大将軍になると、政子は鎌倉幕府を身近で支えました。1199年に頼朝が亡くなると髪を下ろして尼になりましたが、政治から退かず、父の北条時政や、執権となった弟の北条義時らと幕府を支えたため、後に尼将軍と呼ばれました。1221年、後鳥羽上皇が幕府を倒そうとして承久の -
歴史
藤原不比等
藤原不比等(659~720年)は、中臣鎌足の子として生まれ、藤原氏の基盤を築いた政治家です。文武天皇のもとで701年の大宝律令の編纂に参加し、律令政治を整える中心人物となりました。710年の平城京への遷都後も政界で強い影響力を持ち、718年には養老律令の編纂を主導しました。ただし、養老律令が実際に施行されたのは757年で、不比等の死後です。娘の藤原宮子を文武天皇の夫人とし、その子が後の聖武天皇にな
12
