2026年9月– date –
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人物
井伊直弼
井伊直弼は、彦根藩主になる前に埋木舎で長い年月を過ごし、学問や茶の湯に励みました。1858年に大老となると、外国との交渉期限が迫る中、朝廷の勅許を得ないまま日米修好通商条約への調印を決め、開国を進めます。将軍継嗣問題では徳川慶福(後の徳川家茂)を推し、一橋慶喜を支持する大名や公卿、志士らを安政の大獄で処罰しました。吉田松陰らの処刑も反発を強め、1860年、江戸城へ向かう途中に桜田門外の変で命を落と -
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源頼朝
源頼朝は平治の乱の後に伊豆へ流され、1180年に挙兵しました。石橋山の戦いで敗れた後、鎌倉を本拠に東国武士を御家人としてまとめ、平氏滅亡後の1185年には朝廷から全国へ守護と地頭を置く権限を認められます。頼朝が御家人の領地を守り、新しい土地を与え、御家人が軍役などで仕える関係を御恩と奉公といいます。この関係が武士の政権を支えました。1192年には征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府の基礎を固めました。歌 -
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歌川広重
うたでまなび舎のこの曲は、江戸時代後期を代表する浮世絵師・歌川広重が、旅先や江戸の景色を一枚の中へ残した歩みを歌っています。広重は江戸八重洲河岸の火消しの家に生まれ、家業を継ぐ一方で、歌川豊広に弟子入りして絵を学びました。代表作の東海道五十三次では、日本橋から続く街道の宿場、旅人、雨や雪などを情感豊かに描いて人気を集めました。当時の多色摺り木版画は、版元が企画し、絵師・彫師・摺師が分業して作りまし -
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伊能忠敬
うたでまなび舎のこの曲は、江戸時代の測量家・伊能忠敬が、佐原での家業を退いた後、50歳で高橋至時に学び直し、日本地図づくりへ進んだ歩みを歌っています。忠敬は緯度1度の距離から地球の大きさを求めようとし、55歳から蝦夷地を起点に全国測量へ取り組みました。沿岸や街道を歩き、方位と距離を野帳に記録し、星の観測も重ねました。測量は10回に及び、当初の個人事業は後に幕府事業となります。忠敬の死後、幕府天文方 -
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紫式部
うたでまなび舎のこの曲は、平安時代の作家・紫式部が、言葉にしにくい思いを物語へ託す姿を想像して歌っています。紫式部は、一条天皇の中宮で、藤原道長の娘でもある彰子に仕えました。代表作『源氏物語』は、光源氏など架空の人物を通して、人の恋や心の揺れを描く長編物語です。『紫式部日記』には、彰子の皇子出産を祝う宮廷の様子などが記されています。物語の登場人物と実在の作者は別であり、歌詞の夜の場面や心情も、本人 -
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葛飾北斎
うたでまなび舎のこの曲は、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎が描くことへ向けた情熱を想像して歌っています。代表作「冨嶽三十六景」は、さまざまな場所から見た富士山を描いたシリーズ。その一図「神奈川沖浪裏」は、大きな波と小さな舟、遠くの富士山を対比させています。「北斎漫画」は現代の物語漫画ではなく、人物のしぐさや動植物、風景などを描いた絵手本です。歌詞の独白や心情は創作であり、本人の発言の引用ではありません -
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天草四郎
天草四郎(増田時貞)は、江戸時代の1637年に始まった島原・天草一揆で、若くして一揆勢の中心人物となった。重い年貢と、キリスト教の禁教によるキリシタンへの迫害を背景に、農民や浪人らは原城に立てこもったが、1638年に幕府軍に敗れ、四郎も命を落とした。一揆後、幕府は禁教をさらに強め、1639年にポルトガル船の来航を禁じて鎖国体制を固めた。
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