2026年8月– date –
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人物
杉田玄白
杉田玄白は江戸時代の医師で、蘭学を学びました。1771年、小塚原で腑分けを見学し、オランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』の図が実物に近いことを確かめます。前野良沢や中川淳庵らと翻訳に取り組み、1774年に『解体新書』を出版しました。この仕事は人体への理解を広げ、日本で西洋医学を学ぶ道を開きました。 -
人物
松平定信
松平定信は、天明の飢饉後の1787年に老中となり、寛政の改革を進めた。倹約令で支出を抑え、囲米で諸藩に米を備えさせ、棄捐令で旗本・御家人の借金を軽減した。旧里帰農令で都市へ流入した農民の帰村を促し、人足寄場も設けた。寛政異学の禁では、昌平坂学問所で教える学問を朱子学に限った。厳しい統制は反発も招き、1793年に老中を退いた。 -
人物
徳川家康
徳川家康は三河に生まれ、幼名を竹千代といいました。今川氏のもとで人質生活を送り、桶狭間の戦い後に独立し、織田信長と同盟しました。三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた経験を経て、長篠の戦いでは織田軍とともに武田軍を破りました。豊臣秀吉の死後、1600年の関ヶ原の戦いで石田三成らの西軍に勝利。1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開き、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼしました。幕府は1615年に武家諸法度を定め、 -
人物
新井白石
新井白石(1657~1725年)は、朱子学を学んだ儒学者です。側用人の間部詮房とともに、6代将軍徳川家宣と7代将軍徳川家継を補佐し、正徳の治を進めました。白石は貨幣改鋳で品位の高い正徳金銀を発行し、貨幣の信用回復を図りました。また、金銀流出を抑えるため、1715年に海舶互市新例を出し、長崎貿易の来航船数と取引額を制限しました。一方で貨幣量が減り、物価下落や不景気を招く面もありました。 -
人物
石田三成
石田三成(1560~1600年)は近江国出身で、豊臣秀吉に仕え、兵站や行政を担って豊臣政権の五奉行となり、佐和山城を居城としました。秀吉の死後、徳川家康が勢力を強めると、三成は毛利輝元を総大将とする西軍の中心となり、1600年の関ヶ原の戦いで東軍と激突します。小早川秀秋らの離反で敗れ、のちに京都で処刑されました。対立の背景には、忠義だけでなく諸大名の利害や政権内部の権力争いもありました。
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