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人物
井伊直弼
井伊直弼は、彦根藩主になる前に埋木舎で長い年月を過ごし、学問や茶の湯に励みました。1858年に大老となると、外国との交渉期限が迫る中、朝廷の勅許を得ないまま日米修好通商条約への調印を決め、開国を進めます。将軍継嗣問題では徳川慶福(後の徳川家茂)を推し、一橋慶喜を支持する大名や公卿、志士らを安政の大獄で処罰しました。吉田松陰らの処刑も反発を強め、1860年、江戸城へ向かう途中に桜田門外の変で命を落と -
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源頼朝
源頼朝は平治の乱の後に伊豆へ流され、1180年に挙兵しました。石橋山の戦いで敗れた後、鎌倉を本拠に東国武士を御家人としてまとめ、平氏滅亡後の1185年には朝廷から全国へ守護と地頭を置く権限を認められます。頼朝が御家人の領地を守り、新しい土地を与え、御家人が軍役などで仕える関係を御恩と奉公といいます。この関係が武士の政権を支えました。1192年には征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府の基礎を固めました。歌 -
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歌川広重
うたでまなび舎のこの曲は、江戸時代後期を代表する浮世絵師・歌川広重が、旅先や江戸の景色を一枚の中へ残した歩みを歌っています。広重は江戸八重洲河岸の火消しの家に生まれ、家業を継ぐ一方で、歌川豊広に弟子入りして絵を学びました。代表作の東海道五十三次では、日本橋から続く街道の宿場、旅人、雨や雪などを情感豊かに描いて人気を集めました。当時の多色摺り木版画は、版元が企画し、絵師・彫師・摺師が分業して作りまし -
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伊能忠敬
うたでまなび舎のこの曲は、江戸時代の測量家・伊能忠敬が、佐原での家業を退いた後、50歳で高橋至時に学び直し、日本地図づくりへ進んだ歩みを歌っています。忠敬は緯度1度の距離から地球の大きさを求めようとし、55歳から蝦夷地を起点に全国測量へ取り組みました。沿岸や街道を歩き、方位と距離を野帳に記録し、星の観測も重ねました。測量は10回に及び、当初の個人事業は後に幕府事業となります。忠敬の死後、幕府天文方 -
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紫式部
うたでまなび舎のこの曲は、平安時代の作家・紫式部が、言葉にしにくい思いを物語へ託す姿を想像して歌っています。紫式部は、一条天皇の中宮で、藤原道長の娘でもある彰子に仕えました。代表作『源氏物語』は、光源氏など架空の人物を通して、人の恋や心の揺れを描く長編物語です。『紫式部日記』には、彰子の皇子出産を祝う宮廷の様子などが記されています。物語の登場人物と実在の作者は別であり、歌詞の夜の場面や心情も、本人 -
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葛飾北斎
うたでまなび舎のこの曲は、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎が描くことへ向けた情熱を想像して歌っています。代表作「冨嶽三十六景」は、さまざまな場所から見た富士山を描いたシリーズ。その一図「神奈川沖浪裏」は、大きな波と小さな舟、遠くの富士山を対比させています。「北斎漫画」は現代の物語漫画ではなく、人物のしぐさや動植物、風景などを描いた絵手本です。歌詞の独白や心情は創作であり、本人の発言の引用ではありません -
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天草四郎
天草四郎(増田時貞)は、江戸時代の1637年に始まった島原・天草一揆で、若くして一揆勢の中心人物となった。重い年貢と、キリスト教の禁教によるキリシタンへの迫害を背景に、農民や浪人らは原城に立てこもったが、1638年に幕府軍に敗れ、四郎も命を落とした。一揆後、幕府は禁教をさらに強め、1639年にポルトガル船の来航を禁じて鎖国体制を固めた。 -
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杉田玄白
杉田玄白は江戸時代の医師で、蘭学を学びました。1771年、小塚原で腑分けを見学し、オランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』の図が実物に近いことを確かめます。前野良沢や中川淳庵らと翻訳に取り組み、1774年に『解体新書』を出版しました。この仕事は人体への理解を広げ、日本で西洋医学を学ぶ道を開きました。 -
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松平定信
松平定信は、天明の飢饉後の1787年に老中となり、寛政の改革を進めた。倹約令で支出を抑え、囲米で諸藩に米を備えさせ、棄捐令で旗本・御家人の借金を軽減した。旧里帰農令で都市へ流入した農民の帰村を促し、人足寄場も設けた。寛政異学の禁では、昌平坂学問所で教える学問を朱子学に限った。厳しい統制は反発も招き、1793年に老中を退いた。 -
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徳川家康
徳川家康は三河に生まれ、幼名を竹千代といいました。今川氏のもとで人質生活を送り、桶狭間の戦い後に独立し、織田信長と同盟しました。三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた経験を経て、長篠の戦いでは織田軍とともに武田軍を破りました。豊臣秀吉の死後、1600年の関ヶ原の戦いで石田三成らの西軍に勝利。1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開き、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼしました。幕府は1615年に武家諸法度を定め、
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